ミュシャ展がそごう美術館で開催!詳細

アンディ・ウォーホル・キョウトが2022年9月17日から開催決定!京都市京セラ美術館にて100点以上が日本初公開作品

京都市京セラ美術館で開催の「ANDY WARHOL KYOTO」のアイキャッチ画像
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株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントは、80年を超える歴史を持つ京都市美術館が「京都市京セラ美術館」として2020年にリニューアルオープンするにあたり、アンディ・ウォーホル大回顧展「ANDY WARHOL KYOTO / アンディ・ウォーホル・キョウト」を、2020年9月19日(土)~2021年1月3日(日)の日程で開催すると発表しました。
→【追記】2022年9月17日(土)~2023年2月12日(日)に開催が決定しました。

本回顧展は、ウォーホル美術財団公式美術館「The Andy Warhol Museum(アンディ・ウォーホル美術館)」所蔵作品のみで構成される日本初の展覧会であり、絵画・彫刻など約200点および映像15点の展示作品のうち、門外不出の《三つのマリリン》を含む100点以上が日本初公開作品となります。

京都のみで大規模なアンディ・ウォーホルの個展が開催されるのは初、関西では約四半世紀ぶりです。

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目次

アンディ・ウォーホル・キョウトについて

京都市京セラ美術館で開催の「ANDY WARHOL KYOTO」の告知チラシ画像
本展キービジュアル

1960年代のニューヨークで、大衆文化・消費社会のイメージを主題や素材とする「ポップアート」の旗手として活躍した唯一無二のアーティスト、アンディ・ウォーホル(1928-1987)。

この大回顧展では、1950年代に商業イラストレーターとして活躍していた初期の作品から、1960年代に事故や死を描
いた象徴的な「死と惨事」シリーズ、アンダーグラウンド映画やテレビ番組などの映像作品、セレブリティ(有名人)たちの注文肖像画、そして、その名声を揺るぎないものとしつつ、カトリックの生い立ちにも触れる晩年の作品などを包括的に展示します。この充実した内容の本展は、巡回せず、京都だけの開催となります 。

そして本展では、5つの章に分けてアンディ・ウォーホルを回顧していきます。

第1章 ピッツバーグからポップ前夜のニューヨークへ

1950年代初頭から60年代にかけて、商業イラストレーターとして一躍評判となった時期の作品を紹介します。

1949年、カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)の絵画デザイン学科を卒業したウォーホルは、同年、ニューヨークに移住し、ほどなく広告業界でファッションエディターたちと協働する優秀なクリエイターたちの常連となりました。

クライアントのために制作した初期作品には、商業広告には珍しい金や銀の箔も使用されています。

第2章 ウォーホルと日本 そして京都

1956年、自身への「ご褒美」として世界一周旅行に乗り出したウォーホルにとって初めての海外旅行は、人生における重要な転換期と見なされています。

ウォーホルは京都、東京、香港、マニラ、ジャカルタ、バリ、シンガポール、バンコク、アンコールワット、カルカッタ、カトマンズ、ニューデリー、カイロ、ルクソール、ローマを訪問。

アンディ・ウォーホル《京都(清水寺)1956年7月25日》の作品写真
アンディ・ウォーホル 《京都(清水寺)1956年7月25日》
1956年 アンディ・ウォーホル美術館蔵 マニラ紙にボールペン 43.2 x 35.6cm

旅のハイライトは、6月21日から7月3日までの約2週間を過ごした日本では、カメラを持たずスケッチブックに写生しながら旅を記録しました。

本章では、ウォーホルがインスピレーションを受けた日本の魅力や日本との関わりについて紹介します。

第3章 『ポップ・アーティスト』ウォーホルの誕生

アメリカでポップ・アートが開花し、ウォーホルはそのムーブメントの中心人物の一人になります。

全米の美術館はこぞってポップ・アートをテーマにした展覧会を開催し、ウォーホルの作品は決まって紹介されました。

アンディ・ウォーホル 《キャンベル・スープI:トマト》の作品写真
アンディ・ウォーホル《キャンベル・スープI:トマト》1968年
アンディ・ウォーホル美術館蔵 紙にスクリーンプリント 88.9 x 58.4 cm

1960 年代のシルクスクリーンによる作品は、人の手というより「機械でつくられた」かのように見えるだけでなく、当時の大量消費社会を反映したものです。ウォーホルは広告の大きな影響力を理解しており、消費者の関心を引くために広告と同様の手法を作品に取り込みました。

第4章 儚さと永遠

新聞の派手な見出しからハリウッドの憧れのスターまで、日常生活に作品の題材を求めていたウォーホルは、1960年代以降、自身を取り巻く、その当時注目を集めた独創的な人々を描いていきます。

アンディ・ウォーホル《三つのマリリン》 の作品写真
アンディ・ウォーホル 《三つのマリリン》1962年
アンディ・ウォーホル美術館蔵 麻にアクリル、シルクスクリーン・インク、鉛筆 35.6 x 85.1cm

子供の頃からハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、エリザベス・テイラーといった有名人を題材とする一大肖像画シリーズの制作を始めました。

その後10年も経たないうちに、ウォーホル自身が有名人となり、著名な俳優、アーティスト、ミュージシャン、作家、モデル、裕福なパトロンに囲まれるようになりました。

ウォーホルはまた、ポップ・アーティストの代表的存在となり、フランク・ステラやロイ・リキテンスタイン、ドナルド・ジャッドなどといったアーティストとともにアメリカ美術界における確固たる地位を確立したのです。

第5章 光と影

最終章では、ウォーホルの複雑な生涯をめぐる諸相を探ります。

アンディ・ウォーホル《ツナ缶の惨事》の作品写真
アンディ・ウォーホル 《ツナ缶の惨事》1963年
アンディ・ウォーホル美術館蔵 麻にシルクスクリーン・インク、シルバー塗料 173.4 x 210.8cm

名声と悪評によって、ウォーホルの存在は謎に包まれるようになりました。本章では、死と闇に焦点を当て、自殺、自動車事故、事故現場を写した雑誌や新聞の画像を使った「死と惨事」シリーズを取り上げます。

アンディ・ウォーホル 《最後の晩餐》 の作品写真
アンディ・ウォーホル 《最後の晩餐》 1986年 アンディ・ウォーホル美術館蔵 麻にアクリル、シルクスクリーン・インク 294.6 x 990.6 x 5.1cm

また、「最後の晩餐」シリーズといった晩年の作品を通して、謎めいたスターであり、ビザンティン・カトリックの信者であったウォーホルの複雑な一面を明らかにしていきます。

アンディ・ウォーホル・キョウトの開催概要

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